思考の羅針盤~自己疎外について~

地球が誕生し、いつしか地球の表面上で生命活動が始まり、


そしていくつかの重大な局面を経つつも、地球上は次第に多様な生命で満たされるようになりました。


生命は地球そのものでありつつ、そこから違った形で表出する、これは地球の外部化です。


地表では、このように多様なものが地球から相対的•独立的に分離外部化し、その上で地球との一体化(調和)を維持したものが存続しました。


そしてその外部化したものからさらに外部化して•••と続いて行きます。例えば、人類は便利なものを発明(外部化)してきました。


衣服は人間の肌の延長で外界との接触を緩和すると共に過酷な条件での活動を可能にし、


乗り物は移動距離を縮めて人間の活動範囲を広げ、


コンピューターなどは外部メモリーによって、人間の思考の範囲を拡張しました。


もともとの人間の足腰や免疫力、記憶力は現代人のそれより強かったと言われますが、外部化によってその本来の力は減退します。


これを自己疎外と言います。もともと持っていた≪本質的な力≫が外に移され、今度はそれへの依存が生じ、またそこからの制約も受けるようになるということです。


身近な例ですとスマートフォンが分かりやすいでしょうか。とても便利で無くてはならないものになっていますが、ひとたびデータ通信に不具合が起こると、大きな混乱がもたらされます。


ところで、便利な(外部への依存が進む)世の中において、取り分け問題となるのが、自らの感覚器官の鈍麻です。


仲間を大切にし、人を思いやる気持ちなどは他人との直接の繋がりの中で醸成されるものです。しかし、現代におけるコミュニケーションの場は、相手の声の響きや熱量や匂いなど感覚的なものが寸断され、二次情報•三次情報などに支配されていると言って良いでしょう。


言葉の切抜(文脈無視)の問題もそうですが、一部もって全体を決め付けてしまうのも複数次情報と感覚の鈍麻が関わってきます。


よく『自分の頭で考えることが大切』と言われますが、そのベースは自分の五感です。


どのような情報も、鵜呑みにすることなく自分の五感覚に響かせ、情報を感覚と思考で統合したものとして処理することが必要です。


しかも、自分で自由に処理•選択しているつもりでも、実は多くは『選び取らされている』ものがさらに事態をややこしくしています。


次回は、この選び取らされているものについての説明を試みてみます。    

              完了