ことばによる影響~自己疎外についてⅡ~

前回、現代人はモノゴトが便利になること(=自己疎外)で、


感覚器官が全体的に昔の人より鈍くなっている反面、


だいぶ<言葉>に振り回されているのでは?と言うことについて触れました。


私たちはさまざまな場面で、自由意思で取捨選択しているつもりで、


ほんとうは取捨選択させられているのかも知れません。


①『(問題を)解くのが速いね』

→速く解くのが善


②『勉強を終わらせてから遊ぼう』

→嫌なことは先に済ませてから楽しいことをしよう

→勉強は嫌なこと


③『ずいぶんたくさん○○○したね!』

→量がたいせつ


...など。


普段からこのような言葉に晒され続けると、無意識の内にある種の価値基準が育まれることになります。


はたして、①の問題を速く解くことはほんとうに良いことなのでしょうか?これは現行の教育制度や社会からの要求の一部に過ぎません。


脳科学的には『ゆっくり考える』事の良さが明かされています。


“ゆっくり”と言うと、スローフードなどが思い浮かぶかも知れませんが、農業分野でもユックリの良さを活かした手法があります。


五感覚から意識(ことば)へ、これは<情報処理の外部化>と言っても良いでしょう。


意識が外部化された場合、ほんらいのもの(感覚)との再統合が必要になりますが、それが上手くいかない場合、さまざまな不具合が(例えば病と言う形で)現象すると考えられます。


アウトドア•DIYなど、感覚が呼び起こされるような活動が流行っているのも理由のあることかも知れません。   


次回、この再統合における不具合について、少し詳しく書いみたいと思います。       完了