思考の偏り~自己疎外についてⅢ~

紅葉の季節になりました。

紅葉を見に山に出かけ、その圧巻の光景を目の当たりに言葉が出ないと言う体験、そんな体験をされた方も多いことでしょう。

 

『ああ~』と視覚情報を中心に五感覚が解放された状態。

自然と一体となり自然に溶け込む感覚、そんな感覚を抱きつつ時は刻まれていく•••(主客未分)。

 

しかし次の瞬間、何かに気づいたり言葉が出たりする。

 

『きれい。まさに錦だね!』

『あれ?あそこの山肌だけ少し削れている。山崩れでもあったかな?』

 

このような判断(主観)によって、五感覚が意識化(言語化•外部化)されます。

 

炭火で焼いた秋刀魚の何とも言えない味わいに浸っている時間は幸せ。

 

しかし次に食レポをしだすと何か少し違うような…。

 

聖アウグスティヌスは<時間>について

『誰も私にそれを尋ねなければ知っているが、それを説明しようとすると知らない』

と言ったとのこと。

 

そしてテレビ•ネットを中心に情報が溢れている現在、私たちは外部化された言葉を自分の体験•経験に照らして読み込みます(再統合)。

その際何が起こるか?

 

自分に都合の良いバイアスのかかった状態で読み込みます。もちろん無意識に。そうして情報操作•印象操作の罠に陥ることになるのです。

 

また「エコーチェンバー現象」と言う、自分と似たような考えの人たちのSNSなどのコミュニティから自分の思考に偏りが生じ、時として他人を必要以上に攻撃する事になるのも同様の構造から現出するものと思われます。

 

以上の内容を『主観に陥らずに客観的に』という一言で収めてしまいたいのも心情ですが、それがいわゆる思考停止です。

 

まずは、このように多くのコトは<疎外>されて問題化している事に気づき、そして本質は何かに思いを馳せること、こういった思考の癖を身につけるトレーニングが大切でしょう。

 

もちろん直接の体験の質を高めるる事もやっていきましょう!

 

完了